次女は小学校3年生で本帰国し、海外のインターナショナルスクールから日本の公立小学校へ転入しました。幼稚園や保育園も含めて国内の学校に通うのははじめて。そんな娘が日本の小学校に転入した頃、困ったこと・大変だったことや案外大丈夫だったことをお伝えします。
■ 困ったこと・大変だったこと
①日本語の遅れ(カタカナ読めない、擬音語知らない、など)
②慣習の違い(雑巾て何?1人で学校いったことない…、など)
③保護者も大変(提出物や配布物に慣れない、学校指定のものを揃える、など)
この記事では、具体例を交えながら詳しくご紹介します。
本帰国したとき困ったこと① 日本語の遅れ
やはり一番の壁は日本語でした。幼稚園の頃から海外でインターナショナルスクールの通っていた娘は、日本語は話せるけれども読み書きは小学校1年生レベル(本帰国時)。ひらがなは読めるけれども、カタカナは読めないものも多々あり、漢字は漢数字や曜日はなんとか読める、くらいの状況でした。ちなみに海外駐在時の日本語学習は、小1〜小2の途中までは日本人補習校、小2の途中からは早稲田アカデミー(海外校)でしていました(ただし、コロナ禍だったため、半分くらいはオンライン授業)。日本語の遅れによって困ったことやエピソードを紹介します。
日本語の遅れで困った具体例(1)連絡帳が書けない
本帰国時、次女は連絡帳を正確に書くことはできませんでした。毎日何かは書いてあり、解読できるものもあったのですが(例:しくたい→しゅくだい)、謎なものも多々あり。本人もわからないことが多すぎて、とりあえず書けるだけ書いて持ち帰るという状況でした。「明日はkから始まるなにかを持っていかなきゃいけない」など、情報が断片的でよく先生に連絡アプリや電話で質問しました。当時、理解があっていつでもwelcomeな雰囲気の担任の先生にはとても助けられました。その後、ぐんぐん日本語の読み書きができるようになり、小4の今では連絡帳もバッチリ書けます。
日本語の遅れで困った具体例(2)授業についていけない(主要科目)
先生方の理解や配慮あって、かなり助けてもらったのですが、本帰国時は授業についていくのが大変でした。国語は音読や漢字練習に苦戦、算数は文章題が読めない、その他科目も何が何やらという感じでした。主要科目だと、唯一英語の授業はついていけたため、娘は英語の授業が好きなようでした。簡単すぎてつまらないと言いだすかと思っていたのですが、「英語の時間はわかるからみんなと一緒にできるよ!」と嬉しそうで、そこは良かったです。小4の現在は、理社はいまだ用語や漢字に苦戦することもありますが、国算は問題なくついていけるようになりました。
どの科目でも漢字で苦戦!漢字は積み重ねなので、本帰国前からコツコツ練習するのがオススメです。
日本語の遅れで困った具体例(3)少し変な言葉の使い方をしてしまう
お友達と話しているときに言葉の使い方を間違えて「変だと言われた」と少し落ち込んで返ってくることもありました。間違えて覚えている日本語も多く(例:箱のことは常にバコと読んだり)、本人は気にしているようでした。まわりは先生もお友達も温かい目で見守ってくれていたのですが、本人は小さい子みたいで嫌だとよく言っていました。これについても、当時は気にしていましたが、小4の今では違和感のない日本語を話せています。お友達との関わりや日本のアニメやマンガを見るように(読むように)なったことで伸びたようです。
本帰国したとき困ったこと② : (日本と海外)慣習の違い
海外駐在時の娘の学校は、教材や学用品はすべて学校が用意して学校に置いてあり、持ち物は弁当だけ、服は制服、掃除はなし、といったように日本の学校とは違うところがたくさんありました。そのため、慣習の違いに娘が戸惑うことも多々ありました。
慣習の違いで困った具体例(1)掃除も給食もはじめてで、1人やり方がわからない
転入したばかりの頃は”雑巾”、”配膳”などの用語を知らず、指示の理解に一苦労していたようです。わからないことだらけなので、お友達にどうすればいいか聞いたり、見よう見まねで乗り切りました。最初は丁度いい分量で配膳できなかったり、雑巾がうまく絞れませんでした。
慣習の違いで困った具体例(2)登下校を怖がる
海外駐在時、娘が1人で出歩くことはありませんでした。住んでいた場所の敷地内のみ自由に出歩けるものの、通学や買い物などは常に信頼できる大人と一緒。誘拐があったり、野犬もいる地域だったので、本帰国前は絶対に1人はだめだよと言い聞かせていました。そのため、本帰国した頃は1人で登下校を不安がり、送迎してほしいと言われることもよくありました。
慣習の違いで困った具体例(3)宿題や家庭学習に対する意識が低い
本帰国した頃、娘は宿題をやらなければいけない、という意識はほぼなかったです。本帰国前の学校は勉強系の宿題は出ず、先生も家では勉強じゃなくて本読んだり家族と過ごしたり遊んだりしてね、と言っていました。そのため勉強は学校でやるもの、宿題や家庭学習よりも遊ぶことや本読むことが重要、と娘は考えていたようです。早く日本語が追いつけるように学校の宿題や公文の宿題をやるように促したのですが、帰国したばかりの頃はかなり嫌がっていました。
本帰国したとき困ったこと③ : 保護者も大変
海外インターナショナルスクールから国内公立小学校に転入したときは、親も大変でした。ゆるゆるだった海外の学校からきっちりした日本の学校にかわり、最初はわからないことだらけ。慣れればなんてことないのですが、帰国したての頃はバタバタでした。
保護者として大変だった具体例(1)おたよりが多い。提出物も多い。
紙のおたよりが多く、目を通すのが大変でした(海外駐在時の学校は週に1回簡単なメールが来るくらい)。また、提出物も提出日が決まっているものもあり、忘れないように気をつけました。
保護者として大変だった具体例(2)子どものスケジュール把握
日本の小学校は低学年だと、早い日は14時前に帰宅します。大体曜日ごとに帰宅時間が決まっていますが、イレギュラーな時間に帰る日もあります。娘の小学校の場合は、月初に配布されるカレンダーにその月の下校時刻が書いてあり、親はそれをチェックしなければなりませんでした。本帰国したばかりの頃は何時に帰ってくるのか慌ててチェックすることが多かったのですが、学童をうまく利用していれば、もっと楽だったかもしれません。
ちなみに娘の公立小学校では、16:00までなら無料で学校敷地内の学童利用出来ます。
保護者として大変だった具体例(3)学校指定の物が多い
科目ごとのノートや体操服、給食セット、上履きなど学校の指定通りに揃えなければならないものが多くあります。買い物の際は学校の指定が書かれたおたよりを持ってチェックしながら購入しました。
本帰国時(心配したけど)問題なかったこと
本帰国前はあれこれ心配したのですが、案外大丈夫だったこともあります。
新しい環境は大人でも大変!子どもが何かでつまずいてしまわないかあれこれ心配しました。
(心配したけど)問題なかったこと①:人間関係
転入前は、女の子のグループに入っていけるか、疎外感を感じないか、1人浮いてしまわないか、、などなど学校での人間関係でつまずかないか心配していました。しかし、入ってみると小学3年生はまだ幼く、すぐに友だちができました。また、娘の転入した小学校は帰国子女が多い方だったり(クラスに1〜2人)、外国籍の子もいたり、英語ができる子もいたり、という環境だったので、浮くこともなかったです。
(心配したけど)問題なかったこと②:実技科目(体育や音楽)
海外駐在時の学校は体育はバスケやサッカー、ダンスなど、音楽は流行りの歌をみんなで踊って歌ったり、楽器はウクレレをやったりと、日本とはだいぶ違う授業内容でした。そのため、これまでやったことのない縄跳びやマット運動、鍵盤ハーモニカなどはついていくの大変だろうな、、と心配していました。しかし、低学年の実技科目ではまだ難しいことはやらないので、なんとかついていくことが出来ました。
まとめ(低学年本帰国)
今では親子ともどもすっかり慣れ困っていませんが、帰国当時はかなり焦りました。思ったよりも学校の先生方が寛容かつ親切で、当時はとても心強かったです。
■ 困ったこと・大変だったことまとめ
① 日本語の遅れ(連絡帳書けない、授業ついていけない、変な日本語使ってしまう、など)
② 慣習の違い(慣れないこと多い、登下校怖い、宿題やろうとしない、など)
③ 保護者も大変(おたよりや提出物対応、子のスケジュール把握、学校指定のもの多い、など)
コメント